広島と長崎に原爆が投下されてことしの夏で80年。しかし世界は核廃絶や核軍縮に向かうどころか、核使用の脅威が高まっているとの指摘さえ出ており、唯一の戦争被爆国である日本にとって、核兵器がもたらす惨禍を国際社会及び将来の世代に伝える役割の重みが増している。昨年には日本被団協・日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞する一方で、原爆投下を直接経験した世代は年々少なくなっており、被爆者の証言がますます貴重になっている。そうしたなか、「非核特使」として日本政府から委嘱を受けた2名の被爆者が、「あの日」広島で何が起き、その後の人生にどのような影響を与えたのか、そして、核廃絶と平和への想いについて語る。
また、被爆者の体験を次世代に継承する活動を担う若者(ユース非核特使)も参加し、被爆の記憶を繋いでいく。
講師:
八幡照子(やはたてるこ)
1937年広島生まれ。被爆当時8歳。2013年、外務省より「非核特使」の委嘱を受ける。 ピースボート「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」に参加。 2019年より(公財)広島平和文化センター被爆体験証言者として活動。
飯田國彦(いいだくにひこ)
1942年満州生まれ。2歳で父が戦死、3歳で家族とともに広島に戻り、その直後に被爆。母・姉らは被爆死。被爆後現在まで病の切れ間がなく、最近でも脳腫瘍の手術、甲状腺腫瘍や貧血の治療、細胞の染色体異常を有する。
※非核特使(Special Communicator for a World without Nuclear Weapons)
核兵器使用の惨禍の実相を広く国際社会に伝達し、また将来の世代に継承していくため、様々な国際的機会を通じて、自らの実体験等に基づく被爆証言を実施する被爆者に対して、日本政府が付与する称号。なお、「非核特使」は、日本政府の核軍縮・不拡散政策に関する政府の立場を代表するものではない。