プロジェクトの始まり

パリ日本文化会館は、1982年のフランソワ・ミッテラン大統領(当時)来日時に鈴木善幸首相(当時)との会談の中でその設立構想が生まれました。会館設立計画は、その後、中曾根康弘首相(当時)による官民協同という当時としてはユニークな基本構想のもと、政府から財界へ経団連の参画を仰ぐことで大きく前進しました。会館の設立は、日本文化のフランス国民への紹介を通して日仏協力関係の強化を目指したものでした。

パリ日本文化会館の設立が合意された後、日仏両政府が会館に相応しい場所を探した結果、パリ15区にあるケ・ブランリー地区が建設場所として決定されました。1988年には会館設立計画を推進するプロジェクトとして日仏文化会館設立準備委員会が立ち上げられ、日本側は平岩外四経団連副会長(当時)が、仏側はトタル・フランス石油会社フランソワ=グザヴィエ・オルトリ名誉会長(当時)がそれぞれ会長を務めることとなりました。この委員会に加え、元NHKの磯村尚徳氏を会長とする日本文化会館設立準備協会も設立され、設計競技の実施と工事の計画策定が行われました。1990年には日本人建築家山中昌之氏と英国人建築家ケネス・アームストロング氏による共同設計案が採用されることになりました。


着工と開館

パリ日本文化会館の基本設計が承認され、1993年に建設許可が下りた後、1994年9月に建設が始まりました。その後、設立準備協会から日本と諸外国間の文化交流をミッションに掲げる国際交流基金に運営主体が交代し、この国際交流基金が完成後もパリ日本文化会館の事業運営を担うことになります。

パリ日本文化会館の開館記念式典は清子内親王殿下とジャック・シラク大統領(当時)のご出席のもと、1997年5月13日に行われました。この開館記念式典とパリ日本文化会館で開催された数々の事業は「フランスにおける日本年(1997-1998年)」の一環として実施されました。1997年9月24日から開催された「デザインの世紀-視覚情報の現在と未来」展が、パリ日本文化会館の最初の公開企画となりました。