海外における日本の古美術のイメージは、「わび」「さび」や禅的な精神性をおびたもの、また琳派や浮世絵のような現代にも通じるグラフィカルなもの に代表され、「笑い」の要素を見出すのは難しいと思われがちではないでしょうか。しかし意外にも、古来より欧米や他のアジア地域とは違った「ユーモア」や 「笑い」の文化が日本にはあります。この展覧会は、縄文時代から幕末・明治までの長い日本美術の歴史の中から、「笑い」というキーワードで作品を選択し、 これまであまり知られることがなかった日本美術の新たな側面を検証するものです。
本展は2007年に東京の森 美術館で開催され、好評を得た「日本美術が笑う」展を再構築したものです。展示作品の4分の3はフランス向けに新たにセレクトされ、日本国内においても展 示されたことがない、新発見作品も多数含まれます。縄文時代から幕末・明治時代までの日本美術における「笑い」を、土偶や埴輪、お伽草子などの絵巻物、庶 民的な大津絵や浮世絵、禅画、円空や木喰の仏像など約100点で構成します。
1. 笑いのアーケオロジー:土偶、埴輪
驚くべきことに、日本では3000年から4000年ほども前に、おそらく笑いを表現した造形が産み出されています。縄文時代後期の人物をかたどった 土製品、土偶です。これは世界的に見て、もっとも早い例ではないでしょうか。土偶は、なんらかの呪術的な目的のためにつくられたもので、たしかな用途を確 かめる術はありませんが、その豊かな表情を見れば、古代人が笑いによって邪気を払おうとしたのではないかと考えてみたくなります。
縄 文時代に続く弥生時代、さらに古墳時代になると、明らかに笑いを意図した大胆な造形による人物像があらわれるようになります。古代の出土品においてさえ、 これほど豊かな表情が見られる日本美術。笑いの表現は、伏流水のように静かに流れて、以後の時代に受け継がれていくこととなります。
2.笑いのシーン
6世紀半ばに朝鮮半島経由で日本へ仏教が伝わり、その後、中国の仏教美術が直接流入するようになります。しかし、日本人は中国的な技術を駆使した精巧な美術を受容しながらも、それをアレンジして、独自の美術へと変容させていきます。寒山拾得などの脱俗の聖人や、李白などの詩人にまつわる中国の逸話が伝わる と、ユーモラスな表現を増幅して積極的にキャラクター化していきました。
中世から近世にかけては、見る人が思わず笑ったり微笑んだりしてしまうようなストーリーが数多く作られ、「築嶋物語」のような、御伽草紙と呼ばれる素朴な絵入りの短編物語の画風は、アール・ブリュット風の稚拙味溢れる表現が特徴的です。 17世紀以降、街道を行き交う人たちに安価な土産品として売られた大津絵にも、そのような系譜は受け継がれています。
江戸時代には、徳川幕府の鎖国政策により、結果として他の東アジア圏とはまったく異質な美術が花開くこととなりました。曾我蕭白、伊藤若冲ら江戸時代中期の奇想の画家たちは、ある時はグロテスクに、またある時は軽やかに「笑いのシーン」を画中に作り出したのです。江戸時代末期には世情や政治の不安定さを揶揄 した浮世絵師、歌川国芳や、河鍋暁斎らによる戯画、風刺画は、庶民に絶大な人気を博しました。
一見、単純にかわいらしく滑稽に見える作品から、その成立の背景や元になった故事、また画中の賛や見立ての構造などを把握すれば、より深い笑いの表現を理解することができるのです。
3.いきものへの視線
「人間以外の動物も笑うのか」という永遠の問いがありますが、我々人間には動物が「笑っているかのようにみえることがある」ことは確かです。動物を擬人化する ことによって、何かを語らせ、笑いの効果を上げる試みは、すでに平安時代末(12世紀)から始まっていました。その手法は、森狙仙、曾我蕭白、長沢芦雪ら 多くの18世紀京都の画家たちにも引き継がれ、彼らはいきものたちへ熱い視線を注ぎ、抜群のテクニックでユーモラスな動物画をうみ出しました。動物たちの 愛らしさや滑稽な動きをカモフラージュに使い、世情や政治への痛烈な批判精神を秘めた表現や、明らかに厳しい規制に対抗するかのようなパロディー作品もあります。しかしいずれの画家たちにも共通するのは、動物や昆虫、魚など「いきもの」への優しいまなざしと、深い愛情に満ちた表現です。
4.神仏が笑う〜江戸の庶民信
江戸時代に絶大な人気を博した七福神は日本の土着信仰、中国の仏教、道教、インドのヒンドゥー教の7つの神仏から成っています。元々は室町時代の水 墨画にそれぞれ単独で登場した画題でしたが、江戸時代になって、7つの神仏がセットで描かれるようになりました。大らかな笑いを体現するこの神仏は、現在でも広く信仰されています。
[雲水托鉢図南天棒(個人蔵)] 江 戸時代の宗教者たちは、笑いを表現した絵画を、布教の手段として使いました。臨済宗の中興の祖である禅僧・白隠は、七福神、その中でもとりわけ布袋を、白 隠自身の分身(自画像)としてユーモア溢れる表現で大量に描き、禅の本質を説く役回りを果たさせています。白隠につづく時代の禅僧である仙厓も、仏の教え をユーモラスに、独自の軽い筆致で描いた多くの禅画を遺しました。
内なる仏を木から彫りだして形にした修行僧、円空と木喰が、その長く厳しい修行の中で彫り続けた膨大な仏像の中にも、慈悲深い穏やかな笑みを浮かべるものが多く含まれています。
宗教者が自ら笑いの表現に満ちあふれた絵画や彫刻を産み出し、民衆から大きな支持を得たという事実は、日本では、西洋における宗教と美術の関係とはまったく異なる様相を呈していたことを物語っているのです。
文章:
森美術館 学芸部シニアコンサルタント 広瀬麻美(本展キュレーター)
※ 国際交流基金・本展プレスリリースより抜粋
【関連企画 開幕記念シンポジウム】
「笑いの日本美術史 縄文から19世紀まで」展開幕記念シンポジウム
2012年10月3日(水)18時~20時
会場:大ホール
入場無料
使用言語:日仏語・同時通訳付き
パネリスト:
山下裕二(本展アドバイザー、明治学院大学教授)、
広瀬麻美(本展キュレーター、森美術館学芸部シニアコンサルタント)、
フランシス・マルマンド(作家・文芸評論家)
モデレーター:
フランソワ・ラショー(フランス国立極東学院教授、スミソニアン博物館美術史シニア・フェロー)